準州憲法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/01 00:17 UTC 版)
カンザス準州内の深い亀裂を反映して、カンザスが州として合衆国に加盟を認められる前に、基本法として4つの憲法が作られた。それぞれの憲法は将来のカンザス州におけるアフリカ系アメリカ人の扱いについて異なる見解を反映していた。 トピカ憲法 最初にできたトピカ憲法(英語版)は1855年11月11日に自由州人の集会で採択された。将来のカンザス州で奴隷制を禁止し、カンザスから全ての自由アフリカ系アメリカ人を除外する自由州の原則を含んでいた。この集会は準州あるいは連邦政府に承認されず、12月15日に行われた住民投票で準州の人々に承認されたが、法的文書として認められることは無かった。 ルコンプトン憲法 ルコンプトン憲法(英語版)は、1857年11月7日に公式の奴隷制擁護派政府によって招集された会議で採択された。この憲法は草稿通りカンザスでの奴隷制を容認したが、奴隷制条項は住民投票に付された。この条項と憲法自体に関して一連の投票が奴隷制擁護派開拓者と自由州人開拓者との交互に忌避されたあとで、ルコンプトン憲法は最終的に連邦議会の承認を求めて提出された。最後はこの憲法が住民の意思を代表しているか明らかにできなかったので、受理されなかった。 レブンワース憲法 ルコンプトン憲法について議論されている間に、カンザス準州で新しい自由州人の議会議員が選ばれ着任した。新議会は新たな集会を招集し、レブンワース憲法(英語版)を作った。この憲法は提案された4つの憲法の中で最も急進的なものであり、奴隷制を違法とし、女性参政権の枠組みを入れていた。この憲法は1858年4月3日にレブンワースでの集会で採択され、同5月18日の住民投票で承認された(すべてはルコンプトン憲法が検討中の出来事だった)。連邦議会はその批准を拒否した。 ワイアンドット憲法 ルコンプトン憲法とレブンワース憲法の失敗に続いて、4番目の憲法が起草された。ワイアンドット憲法(英語版)は1859年7月29日にそれを作成した集会で採択された。同年10月4日に行われた住民投票でも承認された。これは奴隷制を違法としたが、レブンワース憲法よりは急進的な色彩が薄れた。カンザスはこの憲法の下で1861年1月29日に自由州として合衆国に加盟した。
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