準州の願望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/28 01:47 UTC 版)
現在のコロラド州の領域に準州を造る動きがほとんど直ぐに始まった。デンバーやゴールデンの市民が町が設立されてから1年以内に新しく開拓された地域の準州化を要求した。この運動は「ロッキーマウンテン・ニューズ」の発行者ウィリアム・バイアーズやラリマーによって促進された。ラリマーは準州の初代知事になる願望があった。1859年、ジェファーソン準州を設立する非公式運動が始まり、その公式な認知を求めてアメリカ合衆国議会に請願書が送られた。 連邦議会は市民達の要求を認めるのに長く待たせることは無かった。これはこの地域の豊富な鉱物資源によって勇気付けられたこともあった。準州は1861年2月28日の連邦議会法律によって正式に組織化され、それまでのカンザス、ネブラスカ、ユタ、およびニューメキシコの各準州から領域が集められた。1857年の「ドレッド・スコット対サンフォード事件」判決で、この準州は奴隷制が事実上可能だったが、近付きつつある南北戦争と準州内の北部寄り感情が多数を占めたことで、この問題は非現実なものとされた。「コロラド」という名前が新しい準州にあてられた。この名前は、1850年にヘンリー・S・フット上院議員が現在のカリフォルニア州の北緯35度45分以南に創る新しい州の名前として提案したものだった。デンバー住民が不満だったのはゴールデンが準州の州都になったことであり、この状況はデンバーがゴールデンの犠牲で成長したことでかえってデンバーの利点になった。
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