湖の利水計画と治水問題の解決とは? わかりやすく解説

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湖の利水計画と治水問題の解決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)

1888年の磐梯山噴火」の記事における「湖の利水計画と治水問題の解決」の解説

長瀬川水系豊富な水量と、桧原湖小野川湖秋元湖標高の高さから、田健治郎桧原湖小野川湖秋元湖水力発電利用できないか考えた田健治郎1907年明治40年)に長瀬川など阿賀野川水系水力発電目的とした水利権申請福島県提出し水力発電所建設計画した田健治郎計画では桧原湖小野川湖秋元湖には水力発電用の取水堰設け予定であった田健治郎計画福島県から許可を得ることに成功しその後田が獲得した水利権猪苗代水力電気の手移った1915年大正4年9月猪苗代水力電気はまず桧原湖小野川湖秋元湖水門堰堤建設を行う許可福島県申請した水門堰堤設け目的は、湖から流れ出す水量調整行って水害防止することと、湖を水力発電用の貯水池として活用するためであった福島県1916年大正5年申請許可したものの、長瀬川流域灌漑組合猪苗代湖下流に当たる安積疏水受益者などとの協定や、協定に基づく設計変更手間取り工事開始1923年大正12年)、完成1925年大正14年となった水門堰堤完成に伴い長瀬川中流下流域水害減少した。これは桧原湖小野川湖秋元湖からの排水量コントロール始められその結果として上流部での浸食抑えられたためと考えられている。またこの工事は各湖の貯水量を増大させることも目的のひとつであり、工事完成後、桧原湖小野川湖秋元湖水位工事前と比べてメートル上昇した桧原湖小野川湖秋元湖水門堰堤建設工事始まった1923年大正12年)、猪苗代水力電気東京電灯合併された。東京電灯によって小野川湖から取水行い秋元湖北岸まで導水して発電する小野川発電所1937年昭和12年)に完成し、更に秋元湖から取水して名家まで導水して発電する秋元発電所1941年昭和16年)に完成した発電所建設に伴い長瀬川流量減少しその結果として上流部での浸食は更に弱くなり、河川改修進展もあって洪水激減した

※この「湖の利水計画と治水問題の解決」の解説は、「1888年の磐梯山噴火」の解説の一部です。
「湖の利水計画と治水問題の解決」を含む「1888年の磐梯山噴火」の記事については、「1888年の磐梯山噴火」の概要を参照ください。

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