温泉の供給
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 15:39 UTC 版)
「バート・エントバッハ」の記事における「温泉の供給」の解説
モルンスハウゼン・アン・デア・ザルツベーデ(グラーデンバッハ)出身のヨハネス・ベッカーは1890年にザルツベーデ谷のマッペスミューレの北西で 150 m 深さのボーリングを行い、数年後にゲッツェンミューレの北西で再びボーリング調査を行った。どちらのボーリングでも、温泉経営に必要となるナトリウム・塩化物泉を掘り当てた。その拡充に関して何年にもわたる議論が行われたが、1920年代の半ばに結論のでないまま議論は打ち切られた。州指定温泉地バート・ナウハイムが、競合することを察知し、すべての拡張計画を阻止したのである。 1980年代半ばから1990年代の初めに、バート・エントバッハの保養地産業を確立・振興のために温泉のボーリングを実施する具体的な提言がなされた。そのための前提となる地質学調査が行われた。 2001年11月22日からヘッセン州とマールブルク=ビーデンコプフ郡の支援を受けて、バート・エントバッハの西、ザルツベーデ谷でボーリングが行われ、深さ 942 m から、温度に関しても、内容物(塩分)に関しても期待された通りの成功がもたらされた。良質の温泉が開発されたのである。この塩分の由来が、苦灰統であるのか、第三紀のオーバーラインシステムの岩塩鉱床であるのかは、はっきりと解明されていない。温泉量は期待されたほど多くはなかったが、温泉を満たし、需要に応えるには十分な量であった。さらに余剰分を他の治療目的に使えるほどの量があった。 利用コンセプトに基づき、新しい温泉の建物を建設することが提案され、具体的な計画に発展し、実行された。新しい魅力的な温泉は、2009年10月に完成した。
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