涼州軍閥とは? わかりやすく解説

涼州軍閥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)

蒼天航路」の記事における「涼州軍閥」の解説

馬騰(ば とう、字・寿成) 馬超の父。涼州軍閥の一人曹操命令により、軍の指揮権馬超譲って朝廷出仕する偉丈夫だが中原来て顔が少し和らいだ涼州離れる際には、馬超から反乱を起こす心算聞いて一族顧みないよう決意うながした馬超韓遂涼州の乱で曹操大敗した後、曹操より伝え聞く馬超奮闘感涙しつつ、中原にいた一族ともども処刑された。 韓遂かん すい、字・文約) 涼州最大軍閥の長。老齢ながら若い女性を常に傍に侍らせ、生卵ひと飲みにし、楽曲あわせて歌い踊るなど、精力的な人物として描かれる若いころ洛陽遊び人をしており、その時北部尉だった曹操知り合っている。「小さき者が生き残るには強者に抗い続けるべし」という信念の下、抗戦和睦巧みに使い分け30年上の長きわたって西涼叛乱を陰で支えフィクサー的な存在馬超の乱の趨勢読み曹操会見を行うも交渉決裂してしまう。その後の戦い大敗し逃亡先に死去成公英せいこう えい) 韓遂参謀美青年韓遂慕っていて、彼には忠よりも孝に近き心で仕えていた。韓遂亡き後張既仲介もあり自らの意思曹操軍投降龐悳とともに曹操軍において涼州の武の花を咲かせることを誓う。 成宜(せい ぎ) 涼州軍閥の一人梁興楊秋李堪と共に馬超の乱に与する一個人の武にこだわる武人として、曹操軍先鋒曹仁一騎討ち挑む彼の策に陥り、戦死した梁興りょう こう) 涼州軍閥の一人。他の軍閥勢力とともに馬超の乱に加担する。後に韓遂指揮下に入っている。 楊秋よう しゅう) 涼州軍閥の一人。他の軍閥勢力とともに馬超の乱に加担するが、夏侯淵攻勢前に降伏する李堪(り かん) 涼州軍閥の一人。他の軍閥勢力とともに馬超の乱に加担するが、張郃討ち取られる馬玩(ば がん) 涼州軍閥の一人涼州の乱に登場馬超仲が良い好漢だが直情的な性格でやや思慮にかける。賈詡墨黒裂心の策略にはまり、韓遂曹操への内通疑ってしまった。自らの馬を馬超託し身代りとなって奮戦討死した。

※この「涼州軍閥」の解説は、「蒼天航路」の解説の一部です。
「涼州軍閥」を含む「蒼天航路」の記事については、「蒼天航路」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「涼州軍閥」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「涼州軍閥」の関連用語

涼州軍閥のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



涼州軍閥のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの蒼天航路 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS