涼州の貞婦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 19:43 UTC 版)
趙昂が羌道県令になった時、王異は西県に住んでいた。この時、同郡の梁双が反乱を起こして西城を攻め落とし、趙昂の男子二人を殺した。王異は梁双に乱暴を働かれる前に自刃しようとしたが、娘(当時六歳)を見て思い留まった。さらに「私がお前を見捨て死んだなら、お前は誰を頼りにすればよいのでしょう。西施も不潔な服を着れば人が鼻をつまむという。ましてや私は西施ではないのですから」と言って汚物を塗りつけた麻をまとい、物を食べずに痩せ細って醜く見せた。後に梁双が郡の長官と和解したため、捕虜となっていた王異は解放された。趙昂の出した迎えが来たため、娘と共に夫の任地へ向かった。 王異は、その道中で娘に対し「婦人は正式な使者がなければ、死が迫っても部屋から出てはなりません。それゆえ昭姜(貞姜)は溺死し、伯姫は焼け死にました。彼女たちの伝記を読む度、その貞節を立派に思ったものです。しかし、今の私は騒乱に遭いながら死ぬことができなかったのです。今更姑たちに顔を合わせられるでしょうか。私が恥を偲んで生き永らえたのは、ただお前が心配だったからです。父のいる宿舎はもうすぐです。私はお前と別れる事にしましょう」と言った。 娘と別れた後、王異は自害しようとして毒を飲み、気絶した。しかしその時、丁度その界隈に解毒剤があり、口をこじ開けて薬を飲ませられたため、一命を取りとめた。
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