涼州に仕える
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 03:40 UTC 版)
若い頃、同郡の尹奉や趙昂とともに名を馳せたという(『魏略』)。 曹操と袁紹が争っていた頃、州牧韋端の命により従事の資格で許都に赴き、安定郡の長史に任命された。帰還した後、曹操の勝利を確信し、その事を地元の諸将に伝えている。 長史の任務が合わず辞職したが、韋端が太僕に任命され、その子の韋康が涼州刺史となると、別駕として召し出された。孝廉となり、丞相府より召された事もあったが、涼州側は上奏して留め置き、参軍とした。
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