海賊史に残る掠奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 17:29 UTC 版)
「ヘンリー・エイヴリー」の記事における「海賊史に残る掠奪」の解説
スペインを脱出したエイヴリーは西アフリカで活動後インド洋を目指して喜望峰を周り、たどり着いた先のマダガスカルやコモロ諸島でクルーの引き抜きと装備の補給を行った。エイヴリーは財宝を求めて紅海のアデン湾に位置するグアルダフィ岬にやってきたところ、偶然ムガール帝国の船を襲撃するためにこの海域を訪れていた海賊トマス・テューの船団と遭遇する。 当時この海域はインドから聖地メッカへの巡礼船団が通っており、そういった船は財宝を積んでいることが多く海賊たちの格好の標的になっていた。目的を同じくする2人は、そこで意気投合して2つの海賊団を1つに統合し、エイヴリーはその船団を率いることになった 。エイヴリー・テュー連合は6隻の船舶に440人の水夫で構成されており、そこにはテューの主船アミティも含まれていた。 合流した海賊団は紅海の入り口を狩場に定めた。まもなくひとつの巡礼船団が監視網を破り本国のインドに向ったという報告がもたらされた。エイヴリーはすぐさまその船団を追跡しスラートとムンバイの間の海域で巡礼船『ファテー・ムハンマド』を捕らえた。ファテー・ムハンマドを捕らえたのはテューのアミティ号であるが、自身は戦闘中に腹に砲弾が直撃して死亡した。ファテー・ムハンマドはムガール帝国の大商人アブドュル・ガフールが所有する船で5万から6万ポンド相当の財宝を積んでいたとみられている。 エイヴリーは逃走した船団のうちの1隻であるムガール帝国皇帝アウラングゼーブの船『ガンジ=イ=サワイ(英語版)』を捕らえた。ガンジ=イ=サワイは700トンの大型船で船には80門の大砲が備え付けられており、200人の水夫のほか400人-500人の火縄銃で武装した兵士が乗り込んでいた。ファンシー号によって船のマストを破壊され航行不能になったガンジ=イ=サワイはエイヴリーらに乗り移られて長い戦闘の末に降伏した。一味は船上で暴虐の限りを尽くしたといい、貞操を破られた女性たちは自殺に追い込まれた。この襲撃により海賊が得た富は32万5000ポンドから60万ポンドと推定される。
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