法令における版権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:40 UTC 版)
1869年(明治2年)に施行された「出版條例」が1875年(明治8年)に改正された際に、「図書ヲ著作シ、又ハ外国ノ図書ヲ翻訳シテ出版スルトキハ三十年間専売ノ権ヲ与フヘシ 此ノ専売ノ権ヲ版権ト云フ」と規定され、「版権」という語が用いられた。この條例は、図書(現在の著作権法における「言語の著作物」に概ね相当する)のみを対象とするものであり、「版権」という語も図書について権利を念頭に置いた語で、音楽等は想定されていなかった(音楽等は別の法律で保護された)。 出版條例は出版規制の側面が強い法令であったが、1887年(明治20年)には、出版條例から「版権條例」が分離され、政府の出版者保護の姿勢がより鮮明となった。この「版権條例」をベースに、1893年(明治26年)に「版権法」が公布された。 版権法は、内務省に版権登録した上で、その出版物に「版権所有」と表示することを義務とする方式主義をとった。現代でも奥付に「版権所有」と表記されていることがあるのは、この名残である。 その後、日本がベルヌ条約に加盟するにあたり、国際水準に合わせた著作権法制が必要とされ、内務省の水野錬太郎らを中心に新しい著作権法制定が進められた。 1899年(明治32年)に公布された著作権法(明治32年著作権法、旧著作権法)では、版権という用語に代わって著作権という用語が用いられるようになり、その権利の内容も、それまで他の法律で保護されていた脚本、音楽、写真等を統合して、今日の著作権に近いものになった。
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