決勝戦でのボーンヘッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:56 UTC 版)
「全国高等学校野球選手権大会に関するエピソード」の記事における「決勝戦でのボーンヘッド」の解説
1956年(第38回大会)7月31日の北関東大会決勝戦の足利工業対藤岡高校戦において、藤岡高校はボーンヘッドにより本来ならばサヨナラ勝ちでの優勝を逃し、結果的に甲子園出場を逸する失態を犯した事例がある。 1対1のまま延長戦に入り、延長15回裏、二死満塁で藤岡高校のサヨナラのチャンスを迎える。そして7番打者が打った一塁ゴロを一塁手がファンブルして三塁走者はもちろん打者走者も一塁に駆け込んでセーフ、サヨナラでゲームセットと周囲に思わせたが、一塁走者が二塁へ走り込むのを途中でやめて一二塁間で立ち止まり(当然ながら一塁走者は二塁を踏む義務があるが念願の優勝に我を忘れてしまったのか)"勝った勝った"と手を叩いて喜んで、二塁に行かず歓喜するチームメイト達による優勝の輪に加わってしまい試合後の挨拶のために整列しようとまでしていた。 サヨナラ負けかと呆然とする足利工ナインの中、ただ一人二塁手がこのことに気付き、すかさず一塁から球を受取り二塁を踏んでフォースアウトの判定が下った。ルール上サヨナラの得点は認められずに無効となり、スリーアウトチェンジで延長戦は続行、これで甲子園初出場が決定していたはずの藤岡高校は、結局そのまま延長21回表に足利工業に1点を勝ち越されて反撃ならず、1対2で敗れ去った。藤岡高校のエースである石井偉男は延長21回を一人で投げ抜いたものの、奮闘の甲斐なく敗れた。 当時の北関東大会は群馬県、栃木県、茨城県の3県で1校しか甲子園に出場できない狭き門であった。 なお、その後に至るまで藤岡高校の甲子園大会出場は春夏を通じて一度も実現せず(地区予選決勝および代表決定戦への進出もこの時のみ)、そのまま統廃合により2007年に学校名は消滅した。野球部の歴史は事実上の後身である藤岡中央高校に引き継がれ、2018年の第90回記念選抜高等学校野球大会では関東・東京地区の21世紀枠候補校に推薦されたが、選考の結果落選し出場はならなかった。
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