江馬天江とは? わかりやすく解説

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江馬天江


江馬天江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 16:04 UTC 版)

胡鉄梅筆 江馬天江肖像(還暦)明治9年(1886年)

江馬 天江(えま てんこう、文政8年11月3日1825年12月12日) - 明治34年(1901年3月8日)は書家漢詩人医師幕末から明治期の京都を代表する文人

本姓は下阪氏。は聖欽。は永弼、のちに正人。近江の人。

略歴

近江国坂田郡中村の下阪篁斎の第6子として生まれる。医学を修めてのち、21歳で仁和寺侍医の江馬榴園の養嗣子となった。大坂に出て緒方洪庵洋学を学び、梁川星巌に師事し詩文を学び詩作に興じた。幕末維新期になると実兄の板倉槐堂山中静逸・谷如意などと国事に奔走した。

1868年(明治元年)には東京明治政府太政官に出仕するも翌年致仕して京都に戻る。1869年(明治2年)に開校した私塾立命館では、塾長として儒学の講義を担当した。

1884年(明治17年)には、小堀遠州が作庭した退亨園のある邸宅に隠棲。多くの文人煎茶会書画会[1]などを通して交流し文芸にふける。

同世代の神山鳳陽・頼支峰、漢詩人の村上仏山・小野湖山書家巖谷一六人陳曼寿、篆刻家山本竹雲小曽根乾堂らとも交流した。還暦の記念に清人画家の胡鉄梅によって肖像画が画かれている。

大正6年(1917年)、従五位を追贈された[2]

息子の章太郎医学者、その子の歴史学者として活躍した。

著作

  • 『賞心賛録』
  • 『古詩声譜』
  • 『退亨園詩鈔』

脚注

  1. ^ 山紫水明処書画会(明治11年・1878年5月5日)京都鴨川鳩居堂熊谷直行主催。天江のほかに山中静逸・宮原易安・田能村直入板倉槐堂・村瀬雪峡らが参加した。
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.43

参考文献




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