山本竹雲とは? わかりやすく解説

山本竹雲

読み方やまもと ちくうん

幕末・明治茶人篆刻家備前生。名は戈、字は中立。居を深竹軒・夢硯堂と称す篆刻細川林谷に、漢学篠崎小竹に学ぶ。画・鑑識能くした。京都住した明治21年1888)歿、69才。

山本竹雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 08:16 UTC 版)

山本 竹雲 (やまもと ちくうん、男性、文政2年(1819年) – 明治21年(1888年4月27日)は、明治期の日本篆刻家茶人である。

は戈または勇、は中立、竹雲はで堂号に深竹軒、夢硯堂などがある。備前児島郡味野地区(現・倉敷市児島)の人。

略伝

備前児島郡の裕福な家に生まれ、煎茶が盛んだった高松に遊ぶ。その後に京都に出て御池柳馬場に住んだ。篠崎小竹の門下で儒学を学ぶ。花卉画をよくし、煎茶に通じた。篆刻は高松にいるとき細川林谷に学び、各地で売印して生計を立てている。文房趣味に詳しく煎茶器の鑑定もした。

江馬天江、谷如意、山中静逸、浅井柳塘、熊谷鳩居堂、山中箺皇堂らと交友した。また三条梨堂松方海東杉聴雨長三洲など当時の名流の印章を多く刻している。

福井には度々遊歴し吉川帰峰・片山桃州・五十嵐香圃・岡崎鷺州・久津見晴嵐などの門弟がいる。足羽山にはその流派「文房流」の記念碑がある。

東山清水稚児ヶ池で入水。池の畔には羽織がたたまれ丁寧に下駄が揃えてあり、一煎点てたらしく煎茶道具が並べられていた。京都南禅寺天授庵に墓所がある。

著作

  • 『消夏偶興』

出典

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