江戸の食事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 14:33 UTC 版)
室町時代からすでに「振売」「棒手振り」(ぼてふり)と呼ばれていたこの業態が最盛期を迎えたのは徳川幕府の治める江戸時代であった。 江戸はもともと幕府の計画によって造られた都市で、初期は江戸城を中心として周囲に武家地を造り、そこに商人や職人を住まわせる形で発展していったが、士農工商の階級によって現れた、将軍を筆頭にして、まったく生産的活動を行わない巨大な消費階級である武士たちのために、大量の食料品を供給する必要に迫られていた。 そしてその後も、世の中が平和になるにつれて江戸に移住する人が増えたり、火事が起きて復興作業のためにやってきた人足たちがそのまま住み着くなど、1743年の江戸人別改によれば男性の町人31万、女性21万5千、そこに武士を足せば100万を超えるほどの人が江戸に集まる事となった。 ロンドン、パリを超えた世界最大級の人口密度を持った江戸の街の隅々に食料を供給するために、流通システムも巨大で複雑で細かなものに発展していき、そのシステムの末端が、振売と呼ばれる業種の人々だった。
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