水線下防御と水密区画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:05 UTC 版)
初期の弩級戦艦の防御の要素としては、あと一つ、水線下の多数の水密区画を挙げることができる。これは、フランスの名造船家ルイ=エミール・ベルタンが発明した設計で、もし船殻が砲弾、機雷、魚雷、あるいは衝突によって破られても、理論的には1つの区画が浸水するだけで、船は生き残ることができた。この予防措置をさらに効果的にするために、多くの弩級戦艦の水密区画は他の水密区画との間にハッチを持たなかった。そのため水線下の1区画に予期せぬ破れが生じても沈没することはなかったが、浸水が複数の水密区画に及んだ例はいくつも存在する。フランスの弩級戦艦クールベ級は第一次世界大戦中に水密区画にケーソンを充填する事により実戦においてオーストリア=ハンガリー帝国海軍の「U-21」の雷撃を2本受けても沈没せずに帰港できた。第一次大戦当時において水線下に損傷を受けて浮かんでいられる大型艦は少なく、超弩級戦艦キング・ジョージ五世級(初代)「オーディシャス」がドイツ製機雷に触雷し大破して曳航中に爆沈した他、ドイツ式の設計であるオーストリア=ハンガリー海軍弩級戦艦フィリブス・ウニティス級四番艦「シュツェント・イストファン」がイタリア海軍の水雷艇の攻撃により撃沈された例を見る限り、フランスの水雷防御は第一次大戦当時で最優秀であると言える。 弩級戦艦の防御で最も大きな進化は、いずれも水面下の機雷または魚雷の対するものとして用意された対魚雷バルジ (Anti-torpedo bulge) と防雷帯 (torpedo belt) である。これら水中防御の目的は、機雷や魚雷を最終的な防水区画から離れた場所で爆発させることにより、その衝撃を吸収することだった。これは要するに船体側面に沿った内部区画のことであり、通常、破片防御程度の軽い装甲が施され、船殻からは1つないし複数の隔壁で仕切られていた。この区画は空のままか、または石炭、水が充填されていたが、燃料の変化に伴い石炭は重油に置き換えられた。また、前述のフランスではケーソンやエボナイトなど防御専用の素材が充填されていた例がある。
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