水温むうしろに人のゐるごとし
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季 語 |
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季 節 |
春 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
寒さゆるみ、氷解け、周囲が何となく暖かさを感じはじめた頃、冬の間、自然のエネルギーを吸収した地中の水が地上への出口を求めて動き出す。そんな中での、自分の背後に誰か人の気配を感じるような気分である。土の中から虫たちが出てくる、魚も動きはじめる。おそらく春を真っ先に感じるのは自然界の動植物であろう。まさに春の息吹を自然の中に感じると同時に、人間も動き出す。長い冬を終え、内へ閉じこもりがちだった生活が一気に外界との接触、コミュニケーションを求めて動き出す。そんな人間の待ちこがれたあたたかさへの、人恋しさへのデリケートな感触を「うしろに」の一言で表現しているようである。平明な措辞でありながら、季節の穏やかなうつろいが身に染みてくるようでもある。 「温む」には、あたたかい、おだやか、さらにやさしく奥深い、つつしみ深いといった意味合いも重なってくる。それは「温む」が、単に40度前後という物理的な温度のみを表現しているからではないと思われるからである。「温水」ならばあたたかい水すなわち「湯」とはならず、「人肌」の燗酒なら40~45度くらいとならないで、そこにそれぞれの人間がもつ感受性、精神性が加わってくる。微妙な表現の隙間をいかに捉えることができるかに係わってくる。命の源として生活に欠かすことのできない水、一方で日本人にはもっとも身近な、いつでもどこでも無料で手に入れることができると思われている(現在では間接水も含めてどれほどの費用がかかっているのか、日本人には想像もできない)水に、精神風土としての思いを巡らしている。季語の面目躍如というところであろう。 一年中熱いシャワーを浴び、ミネラルウオーターをコンビニで買って常に携行しながら、「春の小川はさらさら行くよ 岸のスミレやレンゲの花も」といった季節感(あるいは季節観)をどのような顔して語ればよいのか、まったく複雑である。それだけ季語自体が俳句手帳の世界のみに出没しているだけなのか。イメージの世界に閉じこめて、実体を伴わない季語をどのように理解していくことができるのか心許ない。 水ぬるむ頃や女のわたし守 蕪村 紅絹裏のうつればぬるむ水田哉 蓼太 鷺鳥雀の水もぬるみけり 一茶 |
評 者 |
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備 考 |
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