水揚げ (花街)
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水揚げとは江戸時代から売春防止法施行以前の時代に芸妓、遊女が初めて客と寝所にて接することであった。そのとき処女を喪失することになっていた(水揚げと称して複数の客から金銭を稼ぐこともあった)。
- ^ 「傾城の新艘を仕立てて初めて売り出すことをいふ。買い始める人を水上げ客といふ。この名、新艘の女郎を舟に比していひたることなり」畠山箕山『色道大鑑』。
- ^ 三宅小まめ 森田繁子『祇園うちあけ話』(PHP文庫、2004年)69-70頁、杉田博明『祇園の女 文芸芸妓磯田多佳』(新潮社、平成3年)61-62 頁、相原恭子『京都 舞妓と芸妓の奥座敷』(文春新書、2001年)184-185頁、安田武「祇園随想」『太陽 '72 6月号』(平凡社)87頁、臼井喜之介・熊谷康次郎・稲岡傳左衛門「座談会 今は昔 祇園の夜話」『太陽 '72 6月号』(平凡社)98頁、「髷替え」 アーカイブ 2010年12月1日 - ウェイバックマシン宮川町小糸『宮川町 芸妓さん舞妓さんのページ』
- ^ 南ちゑ『日本の髪型』(紫紅社、昭和56年)108頁、京都美容文化クラブ『日本の髪型 伝統の美 櫛まつり作品集』(光村推古書院、平成12年)226-227頁、京都上七軒市まめ『舞妓のお作法』(大和書房、2007年)56頁、杉田博明『京の花街 祇園』(淡交社、2003年)65頁
- ^ 溝縁ひろし「舞妓さんの持ち物と髪型」『祇をん市寿々』(小学館、2000年)、「衿替え」 アーカイブ 2010年12月1日 - ウェイバックマシン宮川町小糸『宮川町 芸妓さん舞妓さんのページ』。
- ^ 野坂昭如「一力茶屋宿酔夢」『太陽 '72 6月号』(平凡社)92頁。
- ^ 岩崎峰子『芸妓峰子の花いくさ』(講談社、2001年)170-171頁、192頁。なお、「旦那について」 アーカイブ 2012年12月16日 - ウェイバックマシン宮川町小糸『宮川町 芸妓さん舞妓さんのページ』では、初めて旦那を持つことを水揚げだと定義している。
- ^ 桐木千寿『愛され上手になる祇園流・女磨き』(講談社、2007年)113頁
- ^ 福田利子『吉原はこんな所でございました』(教養文庫、1993年)96頁、みな子『華より花』(主婦と生活社、2009年)110-112頁。
[続きの解説]
「水揚げ (花街)」の続きの解説一覧
- 1 水揚げ (花街)とは
- 2 水揚げ (花街)の概要
「水揚げ (花街)」の例文・使い方・用例・文例
- ここはフランスで最大のターボットの水揚げ港の1つです。
- カキの水揚げ.
- その日の水揚げは 10 万円だった.
- この花は水揚げがよくない.
- 水揚げの日などの祝日に,遊女が召使いたちに贈る祝儀の金銭
- 螺子ポンプという,かみ合わせたねじ棒の回転によって液体を押し出す構造の水揚げ機
- 水揚げのため,切り花の茎を水の中で切る
- 螺旋水揚げ機というポンプ装置
- 渦巻きポンプという水揚げポンプ
- 豊(ぶん)後(ご)水道で捕れたアジには,漁船が水揚げする場所や使われている漁法に応じて,異なった名前がある。
- 組合の漁船が漁獲して水揚げした新鮮なイカは,乾燥され,真空パックされ,ビニール袋に入れられる。
- 兵庫県新(しん)温(おん)泉(せん)町(ちょう)は松葉ガニの重要な水揚げ港の町だ。
- 山口県下(しもの)関(せき)市による調査で,下関漁港が国内最大のアンコウの水揚げ港であることがわかった。
- 1930年代中頃まで,ニシンは毎年30万トン以上水揚げされていた。
- しかし,今年に入ってから1か月半の間に1100トンを超えるニシンが漁獲,水揚げされた。
- 富山県の氷(ひ)見(み)漁港で12月と1月に水揚げされたブリの数は計13万774本だった。
- しかし,今年は海水温の上昇が原因でサンマの水揚げが遅れ,宮古産のサンマは手に入らなかった。
- 10月15日の朝,その新会社の社員約20人が前日に水揚げされたカキの殻をむく作業に追われた。
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