気球による横断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 03:48 UTC 版)
1785年1月7日、フランスのジャン=ピエール・ブランシャールはアメリカ人のジョン・ジェフリーズとともに水素気球で横断を試みた。二人はイギリス側から出発したが、海峡の中ほどでガス漏れを起こし高度が低下。荷重物を次々に捨て、果てはゴンドラ、上着・ズボンまで捨ててロープにしがみつき、カレー近くの陸地まで辿り着いて横断を果たした。航空距離38km、時間2時間47分。その服装にもかかわらず、カレー市では空を飛んでドーバーを横断した最初の人間として大歓迎を受けたという。 一方、最初の有人飛行を記録したモンゴルフィエ式気球の飛行士ピラートル・ド・ロジェは、これにライバル意識を燃やし、新型気球による横断を企てた。直径13mの水素気球の下に円筒の直径3mの熱気球を取りつけたもので、水素気球で浮遊力を保ち熱気球で高度の調節をすることを狙っていた。これに対し水素気球の発明者ジャック・シャルルは「火薬の下で火を焚くようなものだ」と警告したが、ロジェは耳を貸さなかった。1785年6月15日、ロジェは製作協力者のジュール・ローマンとともにフランス側から海峡横断行に出発したが、高度約400mのところで熱気球が発火、上の水素気球に誘爆して爆発事故を起こした。ロジェは即死、ローマンも短時間で息を引き取る惨事となった。これが記録に残っている限りでの人類最初の航空事故とされる。 1930年代にもガス気球を使用して、イギリスの首都ロンドンからドーバー海峡を横断し、フランスの首都パリまで行こうと試みた冒険家3名がおり、1936年5月23日に飛行を開始したものの、ドーバー海峡にたどり着くことなく、ロンドン市内でタワーに激突し墜落、死亡する事故が起きている。
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