気球と飛行技術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:14 UTC 版)
1863年ごろから、ナダールは「巨人号」(Le Geant)と名づけた巨大気球(高さ40メートル、空気の容量6,000立方メートル、13人乗り)を建造した。この計画はジュール・ヴェルヌの同年の小説『気球に乗って五週間』(Cinq semaines en ballon)にインスピレーションを与えたなどの反響があったが、10月4日のパリでの公開飛行では高度が上がらず飛行距離が伸びず失敗に終わった。10月18日、ナダール夫妻はパリを発ち、2度目の飛行実験のためハノーファーへ赴くがまたしても失敗し、妻は負傷した。 以後、資金が尽きたナダールは計画を中止し、将来の飛行技術は気球ではなく空気より重い飛行機械が先導するだろうことを確信する。ナダールは「空気より重い機械による飛行促進のための協会」(la Société d'encouragement de la navigation aérienne au moyen du plus lourd que l'air)を結成し、ナダール自身が会長を務め、ジュール・ヴェルヌが書記となった。「巨人号」は1864年9月にもブリュッセルで実験を行ったが、群衆が気球に殺到しないよう、安全な距離を置くために最新式の可動式バリアを使わねばならなかった。
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