歴史・名称起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 14:57 UTC 版)
高野山で木食応其によって製法が完成された凍り豆腐(こおりどうふ)が、精進料理の一つとして日本全国に広まったものとされる。また、東北地方にも凍み豆腐(しみどうふ)と呼ばれる同じ製法の保存食があり、こちらは戦国大名伊達政宗が、兵糧研究の末に開発したという伝説がある。中国にも同様の食品があるので中国から伝来した可能性も高い。寒さの厳しい地方では、場所に限らず偶然の産物として発見され、普遍的に生産されてきた食品と見られる。 高野豆腐と呼ばれるに至ったのは、江戸時代において高野山の土産物として珍重されたからとも言われている。江戸時代においては最も流通した物がその販売地、販売者の地名を冠することがあり、これもその一つである。 高野豆腐の名称は現在では全国に広まっているがもとは関西圏で広く用いられていた名称で、甲信越地方・東北地方・北海道では凍み豆腐・凍り豆腐・氷豆腐と呼ばれていた。甲信越・東北・北海道で作られる伝統的な製法の凍り豆腐は、藁で数個ずつ豆腐を連ねて軒先に吊るして作るので、その形から連豆腐とも呼ばれている。大阪ではちはや豆腐という呼び名もある。古くは氷豆腐と表記されることもあった。 歴史的には製法が異なる「凍み豆腐」系と「高野豆腐」系の2種類が存在していた。これを第二次世界大戦後、凍豆腐組合が統一する呼称として凍り豆腐(こおりどうふ)の名称を作った。 現代では9割以上が長野県で生産されている。
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