武術の習得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 03:19 UTC 版)
台湾に渡った後は、台中製糖で労働をしつつ、台中武徳殿にて柔道を習得し、さらに中国拳法も習得した。 1937年(昭和12年)に警察官採用試験を受験し合格。20歳まで少年警察官として勤務し、この間に柔道二段を取得した。20歳になると徴兵検査を受け、甲種合格で入隊し第六師団工兵第六連隊に配属された後に、満州の牡丹江の部隊に配属され1942年(昭和17年)に兵役を終え、鹿児島県警察官採用試験を受験し、首位合格で警察練習所に入所。警察練習所を卒業した後は西鹿児島駅前交番に勤務。その後特別高等警察に配属され、1945年(昭和20年)7月に頴娃警察署に異動となり、同年9月に自ら退職した。退職した後は奄美大島にわたり、書店を運営したり、大島電力(本土復帰後に九州電力に再統合)の監査役になるが、1953年(昭和28年)に再び鹿児島に戻り、港湾赤帽組合を立ち上げる。しかし、翌年には沖縄に渡り、念願であった柔道や空手の稽古に励んだ。 沖縄では島袋善良の指導により、南光(アーナンクー)、鎮東(チントウ)を習得し、次に仲里常延より棒術、与那覇政牛からは公相君(クーシャンク―)を習得、その後は抜塞(バッサイ)などを習得した。また戦後、沖縄ではじめて防具付き空手を始めた沖縄拳法の中村茂の道場を度々訪問するなど交流があった。 また、基本を習得した後は組手の練習を行い、そこで後ろ回し蹴り、連続回し蹴り、二段回転蹴り、逆風足刀蹴り(参考)、足刀くの字飛び、螺旋(らせん)手刀打ち、半飛び足刀蹴り等(参考1参考2)の新しい技を考案したという。
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