武漢市長としてとは? わかりやすく解説

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武漢市長として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 14:40 UTC 版)

張仁蠡」の記事における「武漢市長として」の解説

1939年民国28年3月日本軍指示により武漢向かい武漢治安維持会を組織した翌月中華民国維新政府の下での初代武漢特別市政府市長就任している。翌年3月汪兆銘汪精衛)が南京国民政府樹立すると、張仁蠡引き続き武漢特別市政府市長をつとめ、さらに中国国民党中央委員任命された。同年9月武漢特別市政府漢口市政府改められたが、引き続き張が市長に留まっている。1942年民国31年12月漢口市政府漢口特別市政府改組されたが、やはり張が市長留任した1943年民国32年)、新国民運動促進総会武漢分会委員全国商業総会武漢分会副委員長兼任した武漢市在任中に張仁蠡漢口堤防である張公堤・長豊北垸の修築などを含む治水事業に力を注いだ。これは、かつて漢口領事館武官務めた経験を持つ興亜院華北連絡部長森岡皐が、1931年1935年同地水害体験したことから張に治水事業推進求めたことがきっかけであった。張自身漢奸汚名がんとして懸命にこの事業取り組むことになる。1940年民国29年5月行政院副院長財政部長の周仏海が、張に塩税・煙酒税・煙土税の50%上納するよう要求してきたが、治水事業重視する張はこれを拒否した。この張の治水事業成果については、現在でも漢口では高く評価されている。 同年10月漢口特別市湖北省管轄の普通市に格下げされたことに伴い張仁蠡天津特別市市長異動したまた、華北政務委員会委員兼任している。1945年民国34年2月天津市長から退いている。

※この「武漢市長として」の解説は、「張仁蠡」の解説の一部です。
「武漢市長として」を含む「張仁蠡」の記事については、「張仁蠡」の概要を参照ください。

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