武漢政府の瓦解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/12 20:21 UTC 版)
「反共産党」の立場で汪と蒋の意見が一致したことから、武漢政府と南京政府の再統一がスケジュールにのぼり、蒋介石が一時的に下野することを条件に両政府は合体することとなった。こうしたなか、孫文未亡人の宋慶齢のみは国民党のなかにあって容共路線の継続を主張し、ソビエト連邦に亡命した。1927年9月、武漢政府は瓦解し、南京国民政府に合流した。
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