武官制の移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 16:37 UTC 版)
太平洋戦争が勃発する直前の1941年(昭和16年)から終戦の1945年(昭和20年)まで、毎年軍法会議法が改正され続けた。特に1942年(昭和17年)の改正では、軍の統帥を理由にこれまで文官であった法務官は武官たる陸軍法務将校・海軍法務科士官と従来の文官身分から武官身分へと変更され、司法権の独立について定めた条項が審判への不干渉を定めたもの以外は全て削除された。法務官の武官制移行には、当時の法務官からも賛否両論があり、陸軍省法務局のナンバー2であった沖源三郎陸軍法務官は同僚にアンケートをとるなど反対運動を試みたが、戦争遂行における統帥権の下に司法権を組み込むことによって司法判断にも統帥の要求を通しやすくしようと法務官の武官制移行を推進していた武藤章軍務局長に、当時の法務局長が同調していたため頓挫したと回顧している。反対に軍組織の中では文官である法務官の意見が軽視されやすいことから「軍人」となることで軍の暴走を止めることができるとして武官制移行を肯定的に見る法務官もいた。 また、海軍では武官制移行に併せて、海軍将校相当官現役期間特例(昭和17年勅令第332号)によって、短期現役士官制度から法務科士官になることも認められた。
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