欧州カップ戦での躍進 (1960年代 - 1980年代)
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1955-56シーズンにはUEFAチャンピオンズカップに初出場したが、初戦でヴェレシュ・ロボゴーSE(ハンガリー)に敗れた。1956-57シーズン、1959-60シーズンの同大会では予選で敗れたが、1962-63シーズンの同大会では予選でレアル・マドリード(スペイン)に2試合合計4-3で勝利し、欧州カップ戦初勝利を挙げた。2回戦ではCDNAソフィア(ブルガリア)に勝利したが、準々決勝でダンディーFC(スコットランド)に敗れた。1969-70シーズンのインターシティーズ・フェアーズカップでは決勝に進出したが、決勝でアーセナル(イングランド)に敗れた。1975年から1984年には、リーグ優勝こそ1回だけだったが、欧州カップ戦で大きな成功を収めた。1975-76シーズンと1977-78シーズンのUEFAカップウィナーズカップでは、決勝でそれぞれウェストハム・ユナイテッドFC(イングランド)とアウストリア・ウィーン(オーストリア)を下して優勝した。1976年と1978年にはUEFAスーパーカップも制している。1982年、選手時代にアンデルレヒトのアイドルだったヒムストが監督に就任し、この時期にはスタジアムの完全改修工事が始まった。1982-83シーズンのUEFAカップでは決勝でベンフィカ(ポルトガル)を下して優勝したが、国内リーグではスタンダール・リエージュに次ぐ2位に終わった。1983-84シーズンのUEFAカップでは、決勝でトッテナム・ホットスパー(イングランド)に敗れた。準決勝のノッティンガム・フォレスト戦(イングランド)には2試合合計3-2で勝利したが、同点で迎えた延長に与えられたPKで勝ち上がりを決めたため、試合後に議論が起こった。後には、決勝進出を保証してもらうために、2万7000ポンド分の賄賂を審判に贈ったことが明らかとなった。1981-82・1982-83・1983-84シーズンは3シーズン連続で2位だったが、1984-85シーズンには2位のクラブ・ブルッヘに勝ち点11の大差を付け、18回目のタイトルを獲得した。1985-86シーズンのリーグ戦ではプレーオフでクラブ・ブルッヘを破り、19回目のリーグ優勝を果たした。1986-87シーズンは最終節で20回目のリーグ優勝を決めた。1987年夏には主力選手のフランキー・ベルコーテレンやエンツォ・シーフォが退団し、フアン・ロサーノがKSVワレヘム戦で重傷を負って長期離脱した。レイモン・ゲタルスが弱体化したチームを率いたが、1987-88シーズンはクラブ・ブルッヘ、KVメヘレン、ロイヤル・アントワープに次ぐ4位にとどまった。しかし、ベルギー・カップではスタンダール・リエージュとの決勝に進出し、ルク・ニリスとEddie Krnčevićが得点して6回目の優勝を飾った。1988-89シーズンのベルギー・カップ決勝でもスタンダールと顔を合わせ、今度はKrnčevićとヤンコヴィッチが得点して2連覇を決めたが、リーグ戦では2位に終わった。このシーズン終了後、ゲタルス監督はボルドー(フランス)監督に転任した。
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