欧州カップ戦での成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:37 UTC 版)
「バレンシアCF」の記事における「欧州カップ戦での成功」の解説
1960年代初頭のリーグ戦ではぱっとしない順位が続いたが、ビセンテ・ギジョットやブラジル人のワルド・マチャドなどに導かれ、ヨーロッパの舞台ではインターシティーズ・フェアーズカップ(UEFAカップの前身)で成功を収めた。1961-62シーズンの同大会では決勝でFCバルセロナを破って初優勝し、1962-63シーズンの同大会でも決勝でNKディナモ・ザグレブ(クロアチア)を破って2連覇を達成。1963-64シーズンの同大会でも3年連続で決勝に進出したが、今度はレアル・サラゴサに1-2で敗れて準優勝に終わった。1970年には、バロンドールに2度輝いたアルフレッド・ディ・ステファノが監督に就任し、1970-71シーズンには1947年以来となる4度目のリーグ優勝を遂げた。この結果、1971-72シーズンにはクラブ史上初めてUEFAチャンピオンズカップに出場したが、3回戦でウーイペシュトFC(ハンガリー)に敗れた。同シーズンの国内リーグ戦ではレアル・マドリードに次ぐ2位であり、国内カップ戦では決勝でアトレティコ・マドリードに敗れて準優勝だった。1970年代にはオーストリア人ミッドフィールダーのクルト・ヤーラ、オランダ人フォワードのヨニー・レップ、アルゼンチン代表フォワードのマリオ・ケンペスなどが在籍し、ケンペスは1976-77シーズンと1977-78シーズンの2シーズン連続で得点王のタイトル(ピチーチ賞)を獲得した。1974年のディ・ステファノ退任によって過渡期を迎えたが、1978-79シーズンのコパ・デル・レイ決勝、レアル・マドリード戦ではケンペスが2点を叩きこんで5度目のリーグ優勝に貢献した。ケンペスはアルゼンチン代表として1978 FIFAワールドカップに出場し、決勝のオランダ戦でも2得点している。1979-80シーズンにはディ・ステファノが監督に復帰し、UEFAカップウィナーズカップ決勝ではアーセナルFC(イングランド)をPK戦の末に破って優勝した。1980年のUEFAスーパーカップでは、UEFAチャンピオンズカップ王者のノッティンガム・フォレストFC(イングランド)と対戦し、アウェーゴール差で上回って新たなトロフィーを加えた。
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