横岳ロープウェイ事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 05:41 UTC 版)
「北八ヶ岳ロープウエイ」の記事における「横岳ロープウェイ事故」の解説
1992年10月30日午後4時10分ごろ、山麓駅に到着した「ピラタス1号」と、山頂駅に到着した「ピラタス2号」の両搬器が、ともに減速・停止せずに終点のコンクリート壁に衝突した。この事故で2つの搬器の乗員乗客合わせて72人が将棋倒しとなり、乗客70人が重軽傷を負った。横岳ロープウェイ社では国内ロープウェイの大型化・高速化のはしりとして、駅舎を新築するなどして同年1月1日から搬器を40人乗りから101人乗りに大型化し、当時最新鋭のコンピューター自動速度制御システムを導入したばかりだった。 負傷者の数が国内のロープウェイ史上最大規模となったことから、事態を重く見た運輸省は長野県警諏訪警察署(当時)および警察庁科学警察研究所と合同で70人体制の大がかりな現場検証を行った。 捜査の過程で、規定に反して搬器の到着前に運転係が上下の運転レバーを切り替える行為が常態化していたこと、さらに事故直前、山麓駅でロープ保守点検を行っていた作業員が、搬器の滑車通過を検出して搬器を自動停止させる駅舎上部の「停止指令リミットスイッチ」に誤って触れていたことが明らかになった。 このため現地で再現実験を行ったところ、設計時に想定しない状況に対応できずに制御システムのプログラムがエラー状態となり、搬器の位置情報が失われる現象が確認された。さらに、係員が新システムを過信して異常に気付かず、非常停止措置を取らなかったことが重なって事故につながったと結論づけた。 損傷した搬器の修復・新製のためにロープウェイの復旧は遅れ、半年後の1993年4月25日に営業運転を再開した。 横岳ロープウェイ社および現在の蓼科ロープウェイ社では、事故を教訓として社内の安全管理体制を整備し、夏冬のシーズン切り替え時ごとに係員の教育訓練を繰り返し実施している。またホームページ上で毎年の索道安全報告書を公開するなどして、事故の再発防止に努めている。
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