横山勝太郎
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横山 勝太郎(よこやま かつたろう[1]、1877年〈明治10年〉11月15日[2] - 1931年〈昭和6年〉5月12日[3])は、日本の弁護士[4]、政治家。衆議院議員(東京府第一区選出、当選5回)[1]。族籍は広島県平民[2][4]。
経歴
広島県比婆郡東城村(のち東城町、現在の庄原市)出身[5]。横山市松の長男[2][4][5]。1900年に日本法律学校(のち日本大学法律科)を卒業[1][5]。
1902年に判検事登用試験・弁護士試験に合格、司法官試補に任じ山口地方裁判所及び同区裁判所詰を命ぜられた[5]。翌年に官を辞し、広島に弁護士事務所を開設したが東京に転じ、訴訟事務に従事する[5]。1926年には東京弁護士会会長に就任している[6]。
1914年、東京市会議員に当選[2]。さらに1917年の第13回衆議院議員総選挙に当選し、国政に進出した。憲政会[2]、立憲民政党に所属。憲政党幹事、政務調査会長、幹事長を歴任。濱口内閣では商工政務次官を務めた。
栄典
家族・親族
- 横山家
- 父・市松[4](1854年 - ?)
- 母・カタ(1863年 - ?、広島、山崎萬太郎の長女)[2]
- 妻・ハルエ(1883年 - ?、東京、蜷川親治の長女)[2][4]
- 長男、二男、長女、二女[2][4]
- 親戚
脚注
- ^ a b c 『議会制度七十年史 第11』547頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年7月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第5版』よ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年7月13日閲覧。
- ^ 『官報』第1310号、昭和6年5月15日。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第7版』よ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年7月13日閲覧。
- ^ a b c d e 『選挙要覧』3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年7月13日閲覧。
- ^ 東京弁護士会事務所『東京弁護士会史』、1935年
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
参考文献
- 河野公明 編『選挙要覧』河野公明書房、1915年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 白面人『働き盛りの男』やまと新聞出版部、1925年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
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