権兵衛の誓約書とは? わかりやすく解説

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権兵衛の誓約書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 01:24 UTC 版)

山本登喜子」の記事における「権兵衛の誓約書」の解説

権兵衛は、結婚の際に 〔第1条〕「一、礼儀を正ふし信義重んじ質素旨とすることを目的とすべき事」 〔第2条〕「一、夫婦むつまじく生涯たがいにふわ〔不和〕を生ぜざる事」 〔第3条〕「一、夫婦たるの義務をやぶるにあらざればいかなる事実あるも決し離縁を許すべからず」 〔第4条〕「一、家事整頓はすべて妻の責ににん〔任〕ず」 〔第5条〕「一、一夫一婦国法定むる処なれば誓〔ちかひ〕て之に背〔そむか〕ざる事」 〔第6条〕「一、家財は以〔もつて〕妻子養育する余沢なれば妻の外他より口を入るるを許さず」 〔第7条〕「一、一家属することはすべて妻の責にん〔任〕にまかす」※〔〕内は引用者が挿入。 の七か条から成る誓約書明治11年8月15日付)を書いてこの後終生変わることのなかった登喜子への愛情敬意示した。この誓約書は、登喜子の死後に、登喜子の遺品の中から発見された。漢字には権兵衛の手振り仮名付されており、第2条の「生涯」に付され振り仮名は「いつまでも」であった権兵衛登喜子の結婚は、当時明治時代初期)には珍しい恋愛結婚であった権兵衛は「一夫一婦」の誓い生涯渡って守り浮いた話一切なかった。 権兵衛登喜子の夫婦は6人の子供に恵まれた長女イネ(1879–1976)は海軍大臣務めた財部彪 海軍大将に、次女・すゑ(1881–1978)は山路一善 海軍中将に、三女・ミね(1885–1959)は山本盛正(川崎汽船川崎造船所重役)に、四女・なミ(1887–1945)は西郷従道息子の上義 男爵に、五女・登美18881962)は首相松方正義息子である乙彦(東京コークス販売社長)にそれぞれ嫁いだ長男の清(1883–1960)は海軍軍人海兵34期海軍中佐)。

※この「権兵衛の誓約書」の解説は、「山本登喜子」の解説の一部です。
「権兵衛の誓約書」を含む「山本登喜子」の記事については、「山本登喜子」の概要を参照ください。

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