権兵衛の怨念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/09/17 11:54 UTC 版)
様々な拷問にかけられながらも権兵衛はなかなか自白しなかったため、勘解由は「自分は髭を抜きながら吟味するような奉行とは違う、苦しい目に逢って死ぬより、早く恐れ入って白状しろ」と脅すが、「髭を抜くとは甲斐庄喜右衛門殿のことか、彼の御方は明白にして少しも邪なることなし」と言い返し、あまりに情け容赦の無い勘解由の責めを恨み、3年以内に必ず「その験を見せん」と言った。 自白した後、市中引き回しの上、四谷で晒、その後に牢屋入りとなったが、勘解由の屋敷の門前を通る時に権兵衛は「やがて思い知るぞ」と四辺に響き渡るほどの大声で叫んだ。火あぶりとなった時も、体に火が燃え移り、口から火が噴き出るようになりながらも「勘解由、勘解由」と3度叫び続け、ついには頭蓋が割れて絶命したという。 権兵衛の処刑後、勘解由の子が4才になった時に乳母が急に暇を願い出たため、訳を聞くと「坊ちゃまが、夜中に行燈の油を舐める」と言う。初め、勘解由は信じなかったが、その夜、見張っているとその通りであったので勘解由はその子を刺殺した。その兄である勘解由の嫡子は乱心して死去し、勘解由は全身に赤い筋が生じ、腰が曲って苦しみ、やがて「権兵衛が来る、権兵衛が来る」と口走り、そのまま腰の病が重篤となり没したといわれる。
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