楽天監督退任後
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2014年11月9日、楽天のシニアアドバイザー就任が発表された。2015年9月、株式会社楽天野球団取締役副会長に就任(死去まで)。 2016年7月に急性膵炎を発症した際に膵臓がんが発覚したが、星野の意向で病については一切公にされなかった。この時点で肺に転移しており、手術はせずに抗癌剤治療を受けた。 2017年1月16日、2017年度野球殿堂顕彰者(エキスパート表彰)に選出された。 2017年11月28日と12月1日には、自身の「野球殿堂入りを祝う会」に出席していたが、その後体調が悪化し、年が明けた2018年1月4日午前5時25分に三重県津市の次女の家で死去、満70歳没。6日に楽天球団から訃報が発表され、球団は、突然の訃報となったのは「星野の意向であったこと、人前で強気であることを貫き“星野仙一”のスタイルを最後まで全うしようとした結果である」として理解を求めた。星野の葬儀は1月6日に故人の生前の遺志で密葬として津市で執り行われた。1月8日には、楽天の本拠地である楽天生命パーク宮城に献花台が設置され、楽天ファンらが訪れ花を手向けた。この日の来場者は9527人に上ったという。星野が監督を務めた中日と阪神の両球団は3月10日に阪神主催で実施された阪神甲子園球場での両チームのオープン戦を星野の追悼試合とした。試合では半旗が掲げられ、阪神は星野の監督時代の背番号「77」を、中日は背中に監督時代の背番号「77」と左胸に中日選手時代の背番号「20」をつけた特別ユニホームでプレーした。楽天球団は星野のお別れの会を3月19日にグランドプリンスホテル新高輪にて執り行い、楽天会長兼オーナーの三木谷浩史が謝辞と弔辞を読んだ。一方、阪神球団は28日にハービスOSAKAでお別れの会を執り行った。 3月26日、楽天は星野が監督時代につけていた背番号「77」を永久欠番にすると発表した。
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