極東、1862–1863年とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 極東、1862–1863年の意味・解説 

極東、1862–1863年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:18 UTC 版)

ワイオミング (戦闘スループ)」の記事における「極東、1862–1863年」の解説

サンフランシスコ北方メア・アイランド海軍造船所修理完了した後、ワイオミング新たな命令受領した1862年6月16日付け命令書は、直ち極東向かい南軍艦艇による私掠行為阻止するように指示していた。 北軍戦闘艦極東水域到着したことは、すぐに知れ渡った南軍戦闘スループ・アラバマの艦長セメス(Raphael Semmes)大佐は、ジャワ島沖のスンダ海峡で、英国ブリッグからワイオミング到着知りオランダ貿易商からの情報でもそれは確認された。10月26日、セメスは自身日記自信たっぷりにこう記している。「ワイオミングとは良い勝負になるだろう。戦闘によって問題解決するつもりだ。ワイオミング帆走航行しているそうだおそらくは石炭庫は満杯だろう。クラカタウ前に連夜停泊していることは疑いない。満月前に奇襲をかけることができるだろう」 両艦はお互いに索敵続けたが、結局ワイオミングアラバマ相まみえることは無かったアラバマ撃沈はできなかったものの、ワイオミングは翌1863年にも極東の海に星条旗掲げることによって、合衆国の名誉を保った。なお、アラバマ1864年6月19日北軍戦闘スループ・キアサージ(USS Kearsarge)によってフランス沖で撃沈された。 1863年春にフィラデルフィア帰還するように命令受けたが、東インド艦隊離れる準備をしている最中事件発生しワイオミング予定変更された。

※この「極東、1862–1863年」の解説は、「ワイオミング (戦闘スループ)」の解説の一部です。
「極東、1862–1863年」を含む「ワイオミング (戦闘スループ)」の記事については、「ワイオミング (戦闘スループ)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「極東、1862–1863年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「極東、1862–1863年」の関連用語

極東、1862–1863年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



極東、1862–1863年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのワイオミング (戦闘スループ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS