極東、1845年
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「ヴィンセンス (戦闘スループ)」の記事における「極東、1845年」の解説
1845年6月4日、ヴィンセンスはハイラム・ポールディング(Hiram Paulding)大佐を艦長と私、極東へ向かって出港した。僚艦は戦列艦コロンバスであり、この小艦体をジェームズ・ビドル代将が指揮した。ビドルは、国務長官のジョン・カルフーンから公使として清に滞在していたケイレブ・クッシングに対し、日本との外交折衝を開始する旨の指令書を持っていた。 艦隊はリオデジャネイロから喜望峰を経てマカオに向かった。ビドル代将は無事マカオに到着したが、クッシングはすでに帰国した後だった。また、かれの後任であるアレクサンダー・エバレット(Alexander H. Everett)は、日本への航海に耐えうる健康状態では無かった。このため、ビドルは自身で日本との交渉を行うことを決意した。
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