楊軌自立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:24 UTC 版)
同月、涼州の人である張捷・宋生らは胡人・漢人3千人を糾合し、休屠城において反乱を起こした。彼らは郭黁と結託すると、共に後涼の後将軍楊軌を盟主に推戴した。楊軌もまたこれに応じ、大将軍・涼州牧・西平公を自称した。 同月、呂纂は郭黁の将軍王斐を城西において撃ち破った。これ以降、郭黁の威勢は次第に衰えていき、郭黁は南涼へ使者を送って救援を要請した。9月、禿髪烏孤はこれに応じ、弟の驃騎将軍禿髪利鹿孤に騎兵5千を与えて救援させた。 この後、呂光は楊軌へ書を送り「羌胡が騒乱して郭黁が叛逆するに至り、南藩の安否も分からず、音信も絶えてしまった。人伝に聞くところによれば、卿は百姓に迫られて擁立され、黁とは脣歯の関係となっているという。卿の雅志は忠貞にあり、史魚(春秋時代衛の人物)の操を有していた。その成敗を洞察する能力は、遠い古人にも匹敵していた。それがどうして姦邪の言葉を聞き入れ、大美を汚してもよいだろうか!霜に陵されても凋まぬのが松柏であり、難に臨んでも移らぬ者が君子であろう。どうして松柏が微霜に凋まされ、鶏鳴が風雨に止めさせられ事があろうか!郭黁の巫卜は未熟であり、時に当たれば時に誤ろう。大理を考察させtらば、多くの虚謬が見られた。朕の宰化は寡方にしか及ばず、恩沢も遠くに及んでいない。故に世事は紛紜としてしまい、百城が離反に到ってししまった。勠力して心を一つとし、共に巨海を救済する事を卿には望んでいる。今、中倉には粟が数百千万も積まれ、東人の戦士は一人で百余に当たる事が出来る。内に入れば則ち穏やかに笑い合っているが、外に出れば則ち武を涼州に示せよう。黁を呑み、業を噛んでも、まだ余暇が残ろう。卿との関係は君臣といえども、心は父子を過ぎたるものがある。卿の名節を全うさせたいのだ。将来の笑い者にしたくはないのだ」と諭した。だが、楊軌は返答しなかった。
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