植民地化、農業改革と産業化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:59 UTC 版)
「メタコメット山地」の記事における「植民地化、農業改革と産業化」の解説
メタコメット山地周辺の河谷にヨーロッパ人の入植が始まったのは17世紀中葉においてである。森林は伐採あるいは燃やされて農地と化し、かつて一繋がりだったニューイングランド南部の森は、19世紀にはほとんど丸裸となってしまった。メタコメット山地のような急峻な地形は、穀物栽培には向かないため植林事業が行われ、アパラチア山脈中部で採掘された石炭が燃料として取って代わるまで、木炭産業が手広く行われた。他のケースでは、稜線部の森林が低地から火をかけられ、そのあとの高地では放牧が行われた。メタコメット山地の急斜面からはトラップロックが採集され、家屋の基礎として利用されている。コネチカット州北部のピーク山(英語版)の麓からは銅鉱石が発見され、囚人を利用して採掘が行われた。囚人が収監されていた場所は、オールド・ニューゲート刑務所(英語版)として保存されている。 19世紀には工業化の波が到来し、メタコメット山地周辺の河川にダムが築かれて発電所が設けられ、近隣の市町に労働力の拡大をもたらした。工場へ更なる燃料を共有するため、さらに山地は切り開かれ禿山と化していった。トラップロックと砂岩も、舗装用石材と「ブラウンストーン」として建材として多用され、山地からの切り出しが進んだ。輸送のために河川まで線路が敷かれ、艀や船に積み替えられて運搬されていた。
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