栃本関所の改め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 13:47 UTC 版)
戦国時代は、敵の侵攻に対する要衝とされていたが、江戸時代には警備となっていた。寛永8年(1631年)に武州麻生村と甲州河本村に加番所がつけられた。栃本関所は、江戸時代成立以前は軍事的な警備を目的としたが、江戸時代には、「入鉄炮出女」の監視の役割を果たした。また、栃本の奧にあった真の沢・股の沢・小荒川の金山の監視が重要な役割であった。 武州・甲州間の通行 関所の通行は公用を除き、明六つより暮六つまでとした。女性の通行は原則禁止であったが、古大滝村及び近村の善光寺・甲州身延山詣、甲州からの秩父巡礼については許されていた。 この場所の通過は、武州から甲州へは、麻生加番所で千島六左衛門のによる手形を受け、栃本関所に提出し新たな手形を受け、甲州川村番所に提出するものであった。一方、甲州から武州へは、河村番所(川浦加番所)の手形を栃本関所に提出のみだった。 金山の監視 万治2年(1659年)には、栃本関所の奧の「あか金山」の発掘の願出が江戸幕府に出されると、幕府から関所番へ御金荷物荷札の手形の検閲の強化が申し渡された。 荷駄類の監視 関所は、国境を越えて流通する荷駄類の検閲が役割の一つであった。「唐物・抜荷」を監視し、改め済みの荷駄ハ番所が発行する改手形が添えられた。 川浦番所 番所の通行は、明六つから暮六つまであり、三峯講や秩父巡礼の時には通行手形をみせ、番所の通行を手形を受け栃本で渡し通行していた。遠国の女性の通行は禁止されていた。
※この「栃本関所の改め」の解説は、「栃本関所」の解説の一部です。
「栃本関所の改め」を含む「栃本関所」の記事については、「栃本関所」の概要を参照ください。
- 栃本関所の改めのページへのリンク