加番所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 13:47 UTC 版)
麻生加番所 寛永8年(1631年)には、大岡忠左衛門、黒川八左衛門が巡見し、栃本関所の警備強化のため、雁坂通りの麻生村と甲州川の河本村を栃本関所の加番所に指定、麻生村の加番所では名主千島六郎左衛門を頭とし、小西、大久保、梅久保、井上、牛尾の百姓24人を5人組とし番所の勤務を命じたとするものや、麻生加番所は、古大滝村名主六郎兵衛を頭とし、下納組・上中尾組・大久保組の百姓24人とされているものがある。延享元年に栃本関所では関守に二人扶持となり、麻生加番所でも同様の願い出を出したが認められず、百姓の負担となった。 川浦番所 川浦番所は、甲州四郡の口留番所の一つ。『国志』には「武州秩父口河浦村ノ内天科ニアリ」という。番役は二人で、川浦・上下釜口・上下柚木・下荻原・徳和のいわゆる上郷7か村で共同負担し、その代わり高掛三役が免除された。
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