柳 (桃型駆逐艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 08:12 UTC 版)
柳(やなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、桃型駆逐艦の4番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「柳」があるため、こちらは「柳 (初代)」や「柳I」などと表記される。
注釈
- ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1072-1073、昭和3年2月14日(内令43)、艦船要目公表範囲では775トンになっている。同書pp.1098-1099、昭和6年4月29日(内令79)では755トンになっている。
- ^ #海軍造船技術概要p.394では常備排水量800(噸)としている。
- ^ #日本駆逐艦物語p.78では前方2基を『石炭焚き』としている。
- ^ #海軍造船技術概要p.394では重油213トン、石炭98トンとしている。
- ^ #日本駆逐艦史1992p.50では『15ノットで2,400浬』としている。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」には『四〇口径四一式八糎砲 二門』ともある。
出典
- ^ a b #T6公文備考19艦船1/桃、柳画像9『大正五年十月廿一日 佐世保海軍工廠長田中盛秀(中略)駆逐艦柳大正五年十月廿一日起工致候 右報告ス』
- ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、298頁。
- ^ a b #T6公文備考19艦船1/桃、柳画像26、電報訳『大正六年五月五日(中略)柳竣工本日授受結了。』
- ^ #帝国海軍機関史別冊表20、(第一一表)
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.567-568『大正五年十月十二日(内令二二三) 海軍定員令中ノ通改正セラル 驅逐艦定員表ノ下ニ「其一」ヲ加フ 附表ノ通驅逐艦定員表其二ヲ加フ | 第五十九表ノ二 | 驅逐艦定員表 其二 | 一等驅逐艦 | 天津風、磯風 | 二等驅逐艦 | 桃 |(以下略)』將校、機關將校6人、特務士官、准士官3人、下士24人、卒76人。
- ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1072-1073、昭和3年2月14日(内令43)、艦船要目公表範囲。
- ^ #T6公文備考19艦船1/桃、柳画像22、電報訳『大正六年二月二十四日(中略)柳午前十時五分無事進水ス(了)』
- ^ a b 「海軍辞令公報 大正7年11月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070263400
- ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2205号、大正8年12月9日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
- ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
- ^ a b 『官報』第4030号、大正15年2月2日。
- ^ 『官報』第335号、昭和3年2月13日。
- ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
- ^ 『官報』第1057号、昭和5年7月9日。
- ^ a b 『官報』第1155号、昭和5年11月4日。
- ^ a b 『官報』第1765号、昭和7年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2106号、昭和9年1月12日。
- ^ 『官報』第2124号、昭和9年2月2日。
- ^ 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ 『官報』第2389号、昭和9年12月17日。
[続きの解説]
「柳 (桃型駆逐艦)」の続きの解説一覧
- 1 柳 (桃型駆逐艦)とは
- 2 柳 (桃型駆逐艦)の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
「柳 (桃型駆逐艦)」の例文・使い方・用例・文例
- 柳の枝に雪折れなし。
- 柳の下の泥鰌。
- 何時も柳の下に泥鰌は居らぬ。
- あいつにはまいったよ。どんなに厳しく怒っても、柳に風と受け流すだけだよ。
- 皮をはいだ柳の小枝.
- 柳の枝でかごを編む.
- 通りの柳がいっせいに芽を吹いた.
- 柳の枝に雪折れなし.
- 柳の下にいつもどじょうはいない.
- 俳句と川柳(せんりゅう)はジャンルが異なる.
- 歩む姿は柳腰
- 井戸端に柳がある
- 花柳の巷に出入する
- 柳行李を細引でくくる
- 河端柳
- あの女は花柳界の悪風に染まっている
- 花柳界の悪風に染まった女は良妻賢母にはなれぬ
- 柳に雪折れ無し
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