松島四大観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 04:25 UTC 版)
節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 表示 松島湾周囲の松島丘陵や島の高台には「松島四大観」(まつしましだいかん)と呼ばれる修景地点が散在している。これらは、江戸時代に仙台藩の儒学者・舟山萬年によって選ばれた「塩松環海四山」に由来する。 壮観(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度20分25.9秒 東経141度9分7.1秒 / 北緯38.340528度 東経141.151972度 / 38.340528; 141.151972 (壮観(大高森より見る景色))):東松島市にある宮戸島の大高森からみる景色。標高105.8メートル。他の三箇所は視界の方向が限定されるのに対して、この場所には四方を遮る物がなく広大な視界を得られるのが特徴である。松島湾に対しては東端から西方向を眺める形となり、奥松島の島々の他、遠く船形山(奥羽山脈)が一望出来る。夕陽で真っ赤に染まった松島の風景写真として度々用いられる。 麗観(北緯38度23分48.4秒 東経141度6分22.5秒 / 北緯38.396778度 東経141.106250度 / 38.396778; 141.106250 (麗観(富山より見る景色))):松島町の富山にある大仰寺よりみる景色。標高116.8メートル。南方向に松島湾や奥松島を眺める。湾や島々が整然と見えるこの場所は、江戸時代に大淀三千風によって編まれた句集『松島眺望集』や、他の文献でも言及されている。また1876年(明治9年)の巡幸で明治天皇もここを訪れて風景を観賞した。ただ、手樽湾が干拓されたために、現在の麗観と過去の麗観は異なるものになっている。 幽観(北緯38度21分11.6秒 東経141度3分18.3秒 / 北緯38.353222度 東経141.055083度 / 38.353222; 141.055083 (幽観(扇谷より見る景色))):松島町と利府町の境界部にある扇谷からみる景色。標高55.8メートル。東南方向に塩竈湾を眺める。扇状に開ける視界はそれほど広くないが、静かなたたずまいから幽観と称される。 偉観(北緯38度19分9.7秒 東経141度4分2.6秒 / 北緯38.319361度 東経141.067389度 / 38.319361; 141.067389 (偉観(多聞山より見る景色))):七ヶ浜町の代ヶ崎の多聞山からみる景色。標高55.6メートル。北方向に塩竈湾、さらに奥の松島湾、奥松島を眺める。東、西、北の修景地があるのに南を欠くのは惜しいと考えた舟山萬年が調査を重ねて付け加えた場所である。
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