東芝EMI時代とは? わかりやすく解説

東芝EMI時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 16:37 UTC 版)

エレファントカシマシ」の記事における「東芝EMI時代」の解説

1999年フェイス傘下のバリアフリーレーベルとポニーキャニオンとの契約終了したに伴い、バリアフリーレーベルごと東芝EMI移籍1999年シングルガストロンジャー」、2000年レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンナイン・インチ・ネイルズ影響を受け打ち込み多用した、ほぼ宮本ソロ・アルバムとも呼べ11目のアルバムgood morning』を発表。この時期宮本音楽活動並行して執筆活動ドラマフレンズ出演など精力的にこなし多彩な才能発揮した2002年小林武史プロデューサー迎えた12目のアルバムライフ』を発表緻密なアレンジによる、穏やかで色彩豊かな世界作り上げたが、同年末には再びセルフプロデュース戻り、よりシンプルなバンドサウンドへと回帰した初のミニ・アルバムDEAD OR ALIVE』を発表。自らが「音楽バラエティ番組での面白キャラクター」として定着してしまったことへの反省から、この頃からメディアへの露出極力控えるようになる2003年セルフプロデュースによる14目のアルバム俺の道』を発表バンドサウンドへの回帰決定的なものとなる。 2004年3月シングル化ケモノ青年」、熊谷昭共同プロデューサー迎えた15目のアルバム『扉』を発表。 そのアルバムの製作過程密着取材したドキュメンタリーフィルム『扉の向こう』(是枝裕和プロデュース作品)は、テレビミニシアター上映されDVDでも発売された。 同年9月には16目のアルバム『風』を発表2005年には初のライブアルバム野音 秋』『日本 夏』をそれぞれファンクラブインターネット通じて発売2006年3月冨永慢性硬膜下血腫発症したが、同月2日手術し完治3月29日佐久間正英プロデュースによる17目のアルバム町を見下ろす丘』を発売その際「シグナル」が初の配信限定シングルとなった

※この「東芝EMI時代」の解説は、「エレファントカシマシ」の解説の一部です。
「東芝EMI時代」を含む「エレファントカシマシ」の記事については、「エレファントカシマシ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東芝EMI時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東芝EMI時代」の関連用語

東芝EMI時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東芝EMI時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのエレファントカシマシ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS