東急グループ入り、関連事業進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 22:14 UTC 版)
「北海道北見バス」の記事における「東急グループ入り、関連事業進出」の解説
1959年(昭和34年)5月21日、東京急行電鉄(東急)の傘下となり東急グループ入りした。これまでの北見バスは労使関係も良好で健全経営を行っていたことから、市民の間では驚きとともに当時北見市長であった伊谷半次郎が持ち株を東急へ売り渡したからだという噂が流れた。後に伊谷の判断で東急傘下となったことが明らかになる。 東急は五島慶太の下で北海道内企業の買収に乗り出しており、1957年(昭和32年)に定山渓鉄道(現・じょうてつ)と函館バスを傘下に納めた後、北海道中央バスの買収に失敗。矛先を道東・道北に転じたところで、国立大学誘致を目論んでいた伊谷と北見バスの株を抑えたい五島の呼吸が一致。伊谷がまとめ役になって以降東急の株買い占めは急速に進み、1958年(昭和33年)12月には過半数を取得した。翌年4月に伊谷は北見工業短期大学(現・北見工業大学)建設のため五島に1億円の寄付を申し込んだところ、ほぼ了解を得たことを市民に公表した。東急グループ入りにより東急から役員や上級管理職員が送り込まれ、厳格な労務管理体制を施した。 東急は宗谷バス、斜里バス、網走交通、北紋バスも傘下に治めて道東・道北地区でのシェアを大きく拡大。同時に合理化・体質改善・経営多角化を推し進めた。北見バス関連では不動産事業や、子会社として「北見バス興産」を設立しスーパーマーケット事業等に進出。他に北見東急インやきたみ東急百貨店など東急関連企業が次々と進出し、北見市は「東急の城下町」と言われるまでになった。 1963年の会社概要 本社所在地:北海道北見市大通西2丁目15 資本金:1億円 従業員数:730人 車両:193台 営業拠点:北見営業所(傘下に1営業所、5駐車所)、遠軽営業所(傘下に2営業所、2駐車所)、美幌営業所(傘下に2営業所、1出張所、3駐車所)、留辺蘂営業所(傘下に3営業所、1駐車所)
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