東急グループとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 22:08 UTC 版)
「神奈川都市交通」の記事における「東急グループとの関係」の解説
東急との資本関係は1947年に解消したが、以降も東急グループに近い存在となっている。五島昇は没するまで都市交通の取締役を務めていた。また、買収した高砂交通(円にヒョウタン状に二重丸を並べた図案)を除き、神奈川都市交通グループ各社の社章はかつて東京急行電鉄が用いていたものに類似する。具体的には翼の生えたレールの部分が、神奈川都市交通はT、都南交通がTとNを重ねたもの、多摩田園タクシーは並べたTDTの両端のTが翼、明生タクシーは縦に並べた「明生」、箱根観光自動車は台形にHとなっている。円の形状も各社で異なる。 なお、同じ東急を母体に持ち、同様に戦時統合で成立したタクシー事業者の日本交通とは、資本・人事面で全く関連がない。都市交通前社長の伊藤嘉道は同社入社以前に、日本交通ではなく大和自動車交通に入社して修行を積んでいた。日交や大和を含めた東京四社営業委員会との間にタクシーチケットの提携はあるが、日交グループとは東京城南地区や京浜地区、箱根地区で競合関係にある。
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