東山三十六峰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 07:18 UTC 版)
東山の山々を総称して、「東山三十六峰」(ひがしやまさんじゅうろっぽう)とも呼ばれる。言葉の成立当初は、具体的に三十六の峰を擁するという意味ではなく、なだらかに連なる東山の山々を洛中から見て、おおよそ三十六ほどは連なっていようかと例えられたものであろう。 江戸時代後期の学者であり、東山の景観を好んだことで知られる頼山陽が、自らを「三十六峯外史」と号していたことからも、江戸時代頃には「三十六峰」の考えが知られていたものと推測される。江戸時代末期の「花洛名勝圖會」では、「東山三十六峰」の言葉を見ることができ、これが「東山三十六峰」という言葉を記した、現存する史料としては最古のものとされる。この「花洛名勝圖會」には、「どの山々を指して三十六の峰と言っているのかは明らかではない」といった記述があり、「三十六峰」が具体的にどの山々を指しているのかまでは特定されていなかったようだ。 前述の通り、江戸時代以前には、「三十六峰」は具体的には特定されていなかったと考えられるが、近代以降、「三十六峰」を具体的に特定しようという試みも行われている。1936年の大阪営林局「東山国有林風致計画」においては、「東山三十六峰」の山名が具体的に記述されているが、これが、三十六の山名を羅列した史料としては、ほぼ最古のものであるとされる。しかし、ここで名前の挙げられている山名は、江戸時代前期に記された「雍州府志」における「山川門」の記述を踏襲したものにすぎず、実状にそぐわないものも少なくなかった。その後、1956年の京都新聞において、「三十六峰」を具体的に特定した記事が連載されることとなった。以降に刊行された書籍などでは、この連載記事により選定された「三十六峰」をもって「東山三十六峰」とすることが多い。「東山国有林風致計画」の選定、京都新聞の連載記事による選定では、両者で一部異なった山の名前が挙げられており、また、現在では「山」と呼ぶに値する頂の確認できないものもある。 「東山三十六峰」という呼称を使う場合、山科盆地からは確認できるが、京都市街地から頂を確認することが難しい花山、六条山といった山は三十六の峰に含まれないことに留意。
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