東京興農園・興農学園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 13:48 UTC 版)
教職の傍ら、1892年(明治25年)、優良種苗及改良農具の普及による農業界の発展を目指し、東京興農園を創立。東京・赤阪に本店を置き、支店を札幌及び日本統治下台湾の台南に開設。農場を埼玉・静岡(田方郡西浦村久連)・台湾等に開き、また採種場を千葉・埼玉・山梨・群馬・長野・奈良の各県及び北海道等に設置。機関誌として『興農雑誌』を発行。1926年(大正15年)5月に株式会社に改組。同年11月、寅次郎が逝去してからも後継者によって経営が維持された。 静岡県田方郡西浦村久連(現・沼津市西浦久連)に農場を所有し ていた寅次郎の遺言により、内村鑑三・新渡戸稲造ら旧友や、娘婿の小坂順造らが協力者となり、遺族の出資で興農学園が設立された。校長には社会教育家平林広人が就任し、デンマークの国民高等学校(フォルケホイスコーレ)に範を取り、共同生活の中、青少年を対象に農民の実生活に即した教科・実習が指導された。1933年(昭和8年)に久連国民高等学校と改称、卒業生も200名を数えるに至ったが、戦争勃発により活動停止となった。実体はないが、一般財団法人として登録は引き続きなされている。2020年(令和2年)には曾孫の小坂幸太郎が興農学園代表理事に就任し、Youtuberのマックスむらいらと提携。
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