東中野修道に対する訴訟
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東中野修道は著書『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)において、マギーフィルム解説書において事件を証言した「八歳の少女」と夏淑琴は別人であるとの記述をした。また、『SAPIO』2001年8月8日号においても、『私を訴えた南京事件“虚殺”目撃者こそ“虚構の産物”だ』と題する記事において、夏淑琴は偽証言者であるとの主旨の記述をした。 東中野の一連の著述・言動に対し、夏は2000年11月、中国の南京において名誉毀損訴訟を起こした。夏淑琴は「本当に憤りを感じている」「家族の一人一人が殺される様子を思い浮かべるうちに怒りを抑えられなくなり、このままではいけないと思い提訴したのです。」「あの悲劇の光景を記憶から消しさる事ができないのです。」と発言した 。 東中野らは、「裁判管轄権解釈の相違、身辺の安全の保証などの理由により」中国の法廷には一切出廷せず、2005年、東京地裁に「債務不存在確認訴訟(東中野に中国の判決に関する債務が無いことの確認を求める訴訟)」を起こした。この訴訟に対して被告として呼び出された夏淑琴は日本で弁護団を組織し、債務不存在確認訴訟で争うのではなく、2006年5月、東中野の記述に関する名誉毀損裁判判として反訴した。これを受け、2006年6月、東中野側は債務不存在確認訴訟を取り下げるに至った。これについては、名誉毀損の有無と賠償金額が争われることになり債務不存在確認訴訟を争う必要性がなくなったため夏淑琴の同意を得て東中野側は「債務不存在確認訴訟」を取り下げたのだとする説[要出典]と、かねて裁判(南京での裁判)で争うより前にこちらからの疑問に答えるべきだとしていた東中野側は、夏淑琴が日本で事実上応訴するとは思っていなかったため、急いで提訴を一方的に取下げたのだとする説がある。いずれにせよ、東中野側の提訴取下げを受けても夏淑琴側では名誉毀損訴訟を取下げることはせず、夏淑琴側からの日本での名誉棄裁判訟は継続することとなった。 裁判の過程では、主要な論点として、例えば東中野の主張する「夏の発言では家族数が合わない」という矛盾は、マギーフィルムの解説文にあるbayonetという語を東中野が自ら"突き刺す"ではなく"突き殺す"という意味に限って訳した事により、まだ生きていた家族がそこで死んだことになり、結果として夏発言中に出てくる家族数が増える形となり、生じたものであることが原告側から指摘された。
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