杉並区北西部のバスの始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:27 UTC 版)
「関東バス青梅街道営業所」の記事における「杉並区北西部のバスの始まり」の解説
東京都杉並区北部(旧・井荻村)では、現在の桃井原っぱ公園の場所に中島飛行機製作所(現・SUBARU)が工場を立地させた大正後期から、同社への通勤輸送を軸にバス路線が整備されていった。 当営業所の直接の源流となる昭和自動車商会(しょうわじどうしゃしょうかい)は、1927年(昭和2年)5月5日に設立され、現在の荻窪線と高井戸線の営業を始めた。1929年(昭和4年)には、現在阿佐谷営業所が担当する阿佐谷線・日大線の基礎となる路線に参入した。 「関東バス阿佐谷営業所#日大線」も参照 一方、杉並区を東西に貫く官鉄中央本線の南側では、進運乗合自動車(しんうんのりあいじどうしゃ)が設立されていた。進運は1920年(大正9年)、現在は五日市街道営業所が担当している成宗線を皮切りに営業を始めた会社で、1928年(昭和3年)、立教女学院の移転に合わせて立教線を開設した。進運は後に、現在武蔵野営業所が担当している吉祥寺線、三鷹線、柳橋線を開設。東京工場に引き続いて、武蔵野製作所を立地した中島飛行機の傘下となった。 「関東バス武蔵野営業所#吉祥寺線」も参照
※この「杉並区北西部のバスの始まり」の解説は、「関東バス青梅街道営業所」の解説の一部です。
「杉並区北西部のバスの始まり」を含む「関東バス青梅街道営業所」の記事については、「関東バス青梅街道営業所」の概要を参照ください。
- 杉並区北西部のバスの始まりのページへのリンク