本番女優・疑似女優
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 16:05 UTC 版)
日本にAVが発生したのは1981年、一般家庭にビデオデッキが普及しブームとなるのはおおよそ1982年以降となる。なお当時の人気女優に「ドキュメント ザ・オナニーPART2 女優・田口ゆかり」など約40本の表ビデオと10冊の裏本、その他裏ビデオにも出演し「裏ビデオの女王」と呼ばれた田口ゆかりがいる。 当時はビデ倫のモザイクが非常に濃かったこともあり、モザイクの向こうで本番行為、すなわち陰茎の膣への挿入が行われていないことは半ば当たり前であった。特にルックスの良い、ランクの高い女優にとってこれが当てはまる。東良美季は『別冊宝島211 1億人のAV』で「当時は<本番>と言えば<SM>や<スカトロ>とさほど変わらない、かなりキワモノ的な行為だったのだ」と語っている。 ただし、これには「モデルプロダクション側の意向」もあったとも言われている。プロダクションは女優が人気を博せば、通常の芸能界への売り込みを考えており、そのため質の高い女優には、本番などのプレイを行わせることは良しとしなかったとされる。 また、ある人気AV女優は1986年、男性誌GOROでのインタビューで堂々と、撮影時には(モザイクの向こうでは)前張りを付けている、フェラチオ時には(モザイクの向こうでは)ガムテープで作られた物体を使用している、本番はやりません、などと答えていた。実際は本番をせずに本番をしている様に見せる行為は、疑似本番と呼ばれるようになった。いずれにせよ、本番行為を行うのはワンランク下とされる女優の仕事、という傾向があった。 しかし、疑似本番の全盛にも転機が訪れる。その一つとしてAV監督村西とおるの登場が挙げられる。彼はある時期より作品の中身が性行為・本番行為しか無いと言うビデオを、月産6本と言う勢いで量産する。これは海外ロケのスケジュールの都合上、演出のこだわりや撮り直しが行えなかったと言う事情もあるが、SMドキュメントシリーズなどは大ヒットし、本番ビデオは市民権を得た。 もう一つは1993年以降に発生したセルビデオブーム(と言うよりは、セルビデオと共に登場したビデ倫に捕らわれないシースルービデオ・薄消しの概念の一般化)である。モザイクのかけられる面積は小さくなり、モザイクの一辺も小さくなり(2000年以降には一辺1mm以下などと言う最早丸見えのものもあった。ただし大規模には流通しなかった)、透過性が増した。そのため疑似本番でごまかせず本番を行うようになった。ビデ倫の強かったレンタル業界では疑似本番女優が多くいたが、彼女たちはセルビデオで用いられることはなかった。 なお1998年にはセルビデオ専属女優森下くるみがデビュー。彼女はソフト・オン・デマンドで活躍し、レンタル女優のセル流出を加速させた。
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