朝の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 02:26 UTC 版)
ドイツ軍は平野の南東部に向けてマース川を越えて攻撃を開始したが、主力はドイツ国防軍だった。ヘプナーは北方面へ妨害攻撃を開始し強力なフランス第1軍の動きを封じたため、第1軍は南東部の戦争に介入することができなかった。ヘプナーは新たに到着した第3装甲師団の全面に展開する敵の部隊は弱いとする一方で、第4装甲師団が対峙しているのはアニュー、ティヌ(Thisnes)を放棄したの強力なフランス機械化部隊であり、別のフランス機械化師団がムエーニュ川(Mehaigne)の南にいると考えていた。昼近くドイツ空軍は敵の防衛力を弱めるために攻撃した。第3装甲師団はトランベ(Thorembais)へ向かい進撃した。第4装甲師団はペルヴェ(Perwez)へ向け、強力とであると予想されたベルギー軍の対戦車防衛線に対して平行に進軍した。かくして第16軍団は第6軍からジャンブルーへ向かえという命令により後退した。 フランス第12胸甲騎兵連隊とその南側の第11竜騎兵連隊の第3大隊は装甲車の支援を受けたドイツ軍歩兵連隊の波状攻撃を退けた。ドイツ第18歩兵師団はフランス軍の陣地へ侵入した。フランス司令部は第1胸甲騎兵連隊の戦車で反撃し、戦線の回復しようとこころみたが、第3軽機械化師団の戦線が沈静化した。午後にフランス司令部は退却を命令したが、ドイツ歩兵連隊は追撃に手間取り連合軍の部隊は撤退に成功した。フランス第2軽機械化師団はヘプナーの攻撃を計画していた場所の真南に配置されていた。早朝、第2軽機械化師団は第3軽機械化師団が受けている圧力を軽減するためにムエーニュ川から メルドール・クルアン戦線へ、ソミュアS35戦車30両を派遣した。攻撃はクルアン近郊で敵戦車と対戦車砲の砲火よる激しい攻撃で多大な損失を受け撃退された。第2軽機械化師団を指揮していたブジェレン(Bougrain)将軍は敵の侵入をきっかけにユイ(Huy)にいるベルギー軍の大規模な駐屯地が分断される怖れがあったため、ユイのすぐ北のモア(Moha)、ワンズ(Wanze)でムエーニュ川を越えて装甲車で攻撃を行うことを命令した。ブジェレンは主導権を取り戻すために、予備戦力の戦車を転用した。午後3時、フランス軍の偵察機はクルアン南東にドイツ装甲部隊が大集合していることを報告した。第2軽機械化師団はこれに介入できる予備戦力をすでに保持していなかった。 ブジェレン配下の竜騎兵と自動車化歩兵は一連の孤立した防衛拠点で伸びきっており、敵の侵入に弱かった。ブジェレンはベルギーからの要請を断り、第III軍団はブジェレンの戦線を経由してリエージュ地域から後退、ムエーニュ川で部隊を補強した。 ドイツ軍司令部は第2軽機械化師団の主な攻撃を妨害していたため、その外見から伺われる潜在能力を恐れ続けていた。それが装甲車両を備えた第35、第61、第269歩兵師団とその他の4個部隊を集結させた理由だった。この部隊はユイ北方に存在したフランス軍の拠点へ侵入したが、ベルギー軍装甲部隊の注意をアニュー西のフランス軍プリウー騎兵軍団に備えて集結していたヘプナーの部隊から逸らし、そちらへ向けさせることになった。。
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