時重初熊とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 近代日本人の肖像 > 時重初熊の意味・解説 

時重初熊 ときしげ はつくま

時重初熊の肖像 その1

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

時重初熊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/27 07:46 UTC 版)

時重初熊

時重 初熊(ときしげ はつくま、安政6年11月28日1859年12月21日) - 大正2年(1913年4月19日)は、日本獣医学者

業績

東北地方の産馬地に蔓延した仮性皮疽の原因究明および治療法の確立と予防、の腸結節の原因である寄生虫の発見や血清の創設、[1]牛疫の国内流入を防ぐため朝鮮における牛疫調査に功績がある[2]。その他ヒムシ病、結核ダニ熱を研究し各種予防液血清、診断薬の製造、原因不明の伝染病の研究指導を行い日本獣医学の祖とされる[3]

人物

周防国都濃郡戸田村(現在の山口県周南市)出身。1859年(安政6年)時重音二郎の長男として生まれる。1871年(明治4年)17才の時に小学校員養成所を卒業後、宮市小学(現在の防府市立松崎小学校)、末武北村立花岡小学校(現在の下松市立花岡小学校)の教員となるが、辞職し上京。立教学校(現・立教大学)で学ぶ[4]。1880年(明治13年)駒場農学校(現 東京大学農学部)に入学し、1885年(明治18年)駒場農学校獣医学科を首席で卒業[3]。同校の助教授、後に教授となる。1898年(明治31年)から1902年(明治35年)まで約3年間ドイツに留学し細菌学者ロベルト・コッホなどに免疫血清法を学ぶ。1904年(明治37年)農商務省獣疫研究室(現 動物衛生研究所)主任を兼任。[5]1907年(明治40年)頃から朝鮮の牛疫を調査。1913年(大正2年)死去。

栄典

脚注

  1. ^ 13.「ワクチン開発の歴史に学ぶ」”. 一般社団法人 予防衛生協会 (2010年3月8日). 2018年1月29日閲覧。
  2. ^ http://jsvh.umin.jp/archives/pdf/49/049010021.pdf 土屋耕太郎「動物用ワクチンの変遷と感染症の制圧・排除・根絶 : 日本の牛疫ワクチンと狂犬病ワクチンを中心に」652頁、日獣会誌49 , 10 - 212012年
  3. ^ a b 戸田だよりVol.34”. 戸田公民館 社会福祉協議会 (2017年2月1日). 2018年1月29日閲覧。
  4. ^ 立教史データベース 『校友会・校友消息』 立教学院学報第8号,1915年10月
  5. ^ http://jsvh.umin.jp/archives/pdf/49/049010021.pdf 山内一也「牛疫根絶への歩みと日本の寄与」652頁、日獣会誌2010年
  6. ^ 『官報』第4989号「叙任及辞令」1900年2月21日。
  7. ^ 『官報』第6256号「叙任及辞令」1904年5月11日。
  8. ^ 『官報』第8657号「叙任及辞令」1912年5月1日。

関連項目



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「時重初熊」の関連用語

時重初熊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



時重初熊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
国立国会図書館国立国会図書館
Copyright (C) 2025 National Diet Library, Japan. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの時重初熊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS