時計塔と3つの広場とは? わかりやすく解説

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時計塔と3つの広場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/03 14:51 UTC 版)

シギショアラ歴史地区」の記事における「時計塔と3つの広場」の解説

時計塔 (Stundturm / Turnul cu Ceas) はシギショアラ歴史地区ひときわ目立つランドマークである。自治権獲得記念として14世紀半ば建造された。塔の屋根備わっている4つの小塔は、裁判自治権象徴するのである1556年までは市議会議事堂として使われており、その頃まで塔は増築されていたが、現在残るのは1676年大火の後に再建されたものであるその後バロック様式再建され1894年には屋根大規模な葺き替え工事行われ、現在見られるような色鮮やかなタイルが貼られた。 時計塔では17世紀つくられからくり時計が今も機能している。この時計時間が来ると、機械仕掛け人形出てきて時を知らせるようになっており、城塞内に面している時計盤と下町向いている時計盤とでは、出てくる人形異なっている。前者は平和、正義、法、昼夜などを象徴する人物たちになっており、後者月曜対応するディアーナ火曜対応するマールスなど、1週間を表すローマ神話神々になっている時計塔内部歴史博物館 (Muzeul de Istorie) になっている。これは1899年設置されたもので、古代ローマ時代生活用品始まり家具手術道具など時代ごとの様々な物品展示している。個人に関する展示としては、少年時代シギショアラ過ごし後年V2ロケットなどにも携わったロケット工学ヘルマン・オーベルトに関するものがあり、ロケット模型など展示されている。 時計塔内部には、かつて拷問室として使われていた部屋もあり、関連する道具などの展示行なわれている。 時計塔には3つの広場隣接している。ひとつは、前述シギショアラにゆかりのあるロケット工学者の名を冠したヘルマン・オーベルト広場ドイツ語 (旧称) Marktplatz / Piaţa Hermann Oberth)で、これは時計塔南側城壁の外にある。二つ目40 m 四方広さ城塞都市広場 (Burgplatz / Piaţa Cetăţii) で、ギルド健在だった時代には市場開かれていた場所である。そこは城塞都市中心部当たっているため、かつては公開処刑なども行われた3つ目は修道院付属教会隣接する博物館広場 (Museumsplatz / Piaţa Muzeului) で、1896年設置された。それ以前には住居が3件建っていた。

※この「時計塔と3つの広場」の解説は、「シギショアラ歴史地区」の解説の一部です。
「時計塔と3つの広場」を含む「シギショアラ歴史地区」の記事については、「シギショアラ歴史地区」の概要を参照ください。

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