昭和後期より現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/11 04:27 UTC 版)
1985年、旧日本郵船小樽支店(重要文化財、小樽市)の復元事業で、東京文化財研究所の助言を受けて金唐革紙研究所が新設され、現代版「金唐革紙」の復元製作が行われた。しかし、当初は本格的な技術者がおらず、製品品質・製作量は低いものであった。(「金唐紙(きんからかみ)」とは金唐革紙研究所製品にのみ用いる、研究所によって新しく考えられた造語である。) 1995年、入船山記念館〔旧呉鎮守府司令長官官舎〕(重要文化財、呉市)の復元事業より、当時、東京藝術大学日本画専攻在学中の学生であった20歳代前半の後藤仁を中心に、粕谷修朗、柳楽雄平、宮澤利行らが研究所に加わり、彼らによって多くの改良が重ねられ、製品の質・量ともに向上する。この時より後藤仁らが企画立案し、製作するという本格的な体制が整う。 以後10年余にわたり後藤が製作の中心的役割を果たし、1999年に移情閣〔孫文記念館〕(重要文化財、神戸市)、2002年に旧岩崎家住宅(重要文化財、台東区)等の主要な復元を行う。その間、紙の博物館(東京都王子)、呉市立美術館(広島県呉市)、旧岩崎邸庭園、入船山記念館、フェルケール博物館(静岡県)、大英博物館、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(イギリス)等で「金唐革紙展」を開催して、その普及に努める。これらの功績により、研究所職員が2005年、選定保存技術(文化財の修理復元等のために必要な伝統的技術として、文部科学大臣が選定するもの。)の保持者に認定される。 現在、研究所は本格的な製作体制は終了して、粕谷修朗、柳楽雄平、宮澤利行らは各々の日本画制作活動等に戻る。後藤仁は2006年に研究所をはなれ、金唐革紙製作技術を日本画にも取り入れ日本画家・絵本画家として活動するとともに、「金唐革紙保存会」を主宰して展覧会等での金唐革紙の紹介や製作技術保存にも尽力し、必要があれば製作出来る体制を維持している。現在、金唐革紙製作全般にわたる本格的な製作技術を有しており、現役で製作可能なのは後藤仁のみとなっている。
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